連携することで未来につなげる。飯山市の若手農業者の取り組みとアイデア:水野尚哉さん・木原翼さん

水野尚哉さん(左)と木原翼さん

長野県飯山市にある10の地区のひとつ太田地区は、農業が盛んなことはもちろん、戸狩温泉スキー場を中心とした観光地でもあり、市外から多くの人が訪れる地域です。

その太田地区の若手農業者である水野尚哉さんと木原翼さんが、「若き農業者の未来設計」をテーマにした鼎談で、お二人がどう農業に取り組んでいるか、次世代に引き継いでいける地域活性化についてなど、熱い思いを語りました。

飯山市農業再生協議会の地域組織として設置されている太田地区農業再生センターの主催で、2021年7月25日に開催された、第1回「太田地区の将来を語る会」での基調鼎談です。

進行役は、フリージャーナリストであり、長野県長寿社会開発センター理事長も務める内山二郎さん。まずはお二人のプロフィールや取り組んでいることについて、お話しいただきました。

飯山の米はおいしいのが当たり前。栄養豊富な米づくりをしています:水野尚哉さん

水野尚哉さん
38歳・水稲農家。Faith Farm(フェイスファーム)代表。長野調理製菓専門学校を卒業後、「戸狩サンファーム」で米づくりを学び、祖父から受け継いだ田んぼで独自の米作りを2012年に始める。
2015年に「米・食味分析鑑定コンクール」に初出品した米が国際総合部門・金賞を受賞。東洋ライス「世界最高米」原料米に認定された経験も。そして今年、令和3年の皇室新嘗祭献穀米にも選定されました。

水野尚哉さん(以下水野)「飯山生まれ、飯山育ちです。家族は両親と、妻と子ども二人です。兄弟は兄、姉がいます。地元の大型農業法人「戸狩サンファーム」でお世話になっていて、米作りに携わって今年で16年目になります。そのかたわら、自分でも米作りを始め、今年で8年目です。

会社でいろいろな米作りの方法を知り、自分でやるならこだわって作りたいと思いました。飯山の米はおいしいのはあたりまえなので、そこにプラスアルファを求めたくなった。

じいちゃんの田んぼを受け継いだときに、家族が病気を患っていたこともあって、健康にいい栄養のあるお米を作ろうと模索していました。それが結果的に、環境に負荷をかけない米作りにもなっているという状況です。

実家の田んぼは4反歩ですが、周囲の人から「もう作れないから頼むよ」と言われて引き受けた田んぼが増えて、現在は3.5ヘクタールになりました。両親と、飯山に引っ越してきた叔父と、家族経営でやっています。手伝いをしてくれる地域の仲間も何人かいます。

昨年、国の補助事業(強い農業・担い手育成づくり総合支援交付金)が採択となり、念願かなってやっとトラクターをいれることができました。その他の農業機械は、中古を「ヤフオク!」(オークションサイト)で探して…とか、そんな感じです」

自分の名前でブランド化した「七〇八米」

水野「自分の名前をつけた「七〇八米(なおやまい)」のネーミングは、初めて米を買ってくれた友達によるものです。自分の米をブランド化しようと決めた時に、その名前を使わせてもらいました。

最初は収穫量も少なくて、自己満足で終わっていたのですが、口コミでだんだん広まって、一度食べた方がリピーターになって定期購入してくれたりと、全国から注文が増えていきました。

東京の卸業者経由で、料亭で使ってもらったり、長野市の業者からは毎月100キロの発注があります。

飯山の米はそもそもがおいしいので、おいしさという面では正直大差ないと思うのですが、七〇八米の特徴は栄養価が高いことと、弱アルカリ性であること。人の血液と同じ成分を持ったお米です。これは毎年、食品分析センターでデータをとり、数値にして見えるようにしています。

実は田んぼの面積が増えて、販売について心配していました。ですが、コロナ禍のこの時代「免疫力」は大きなテーマのひとつということで、注文がさらに増えて、今年分(令和2年収穫分)は完売しています。売上は約800万円。そこから経費や報酬を引いて、経営的にはまわせている状況です」

山に近いところにある水野さんの田んぼ(写真は水野さん提供)

地域活性化のツールとしてのぶどう栽培。ワインで観光につなげたい:木原翼さん

木原翼さん
28歳・果樹農家。実家は戸狩温泉スキー場の近くで、そばの栽培から製麺、旅館、飲食業を営む「手打ちそばの宿 石田屋」。
飯山高等学校を卒業後、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部にて、マネジメントやグローバルメディア論などを学び、卒業後にUターン。飯山産のワインを作ることを目標にし、雪国でのぶどう栽培に着手。2014年に「飯山市ワインぶどう研究会」を発足。飯山産ワインの醸造を目指して奮闘中。
また、地域の5人の異業種メンバーでたちあげたGOODMOUNTAIN合同会社の業務執行社員でもあります。同社は、北陸新幹線 飯山駅に飲食店「えっぺ」を開店。飯山市での消費量が多く、郷土食!? とも言われているサバ缶の企画・販売も行っています。

木原翼さん(以下木原)「東京の大学を卒業して、Uターンで飯山に帰ってきました。長野県高山村のぶどう作りの師匠の元で2年間研究させていただき、飯山にぶどうを植えはじめて5年になります。

兄弟は4人で、私は末っ子。家業は宿泊業です。父が「お客さまを呼ぶために特徴のあるもの」を、「信州といったらそばだろう」ということで、栽培から製麺までを行って、そばを提供しています。

飯山高等学校を卒業後、大学でマネジメント論や情報通信論、グローバルメディア論を学びました。それがどうしてぶどう作りになったのか?

大学では情報を正確に理解、活用していくことを学んでおり、地域の強みを展開していけたらなと思っていました。

大学を卒業する時期に、ぶどうに目をつけていた父から「ぶどうをやらないか?」と言われて、即座に「やる!」と決めました。

当時は、ぶどうについてまったく知らなかったし、ワインが好きというわけでもなかった。地域活性化のひとつのツールとして、ぶどうを選択しました。

最初はそば畑にぶどうの苗を植えていきました。荒廃農地も借りて整備をし、いまはぶどう畑が3ヘクタール、そば畑が35ヘクタールです。家族と常時雇用している若手スタッフ2名でやっています。忙しい時期は短期のアルバイトをお願いしています」

小高い場所にあるワインぶどう畑

飯山で栽培したぶどうでワインを作り、人を呼ぶ

木原「お隣のぶどう栽培が盛んな中野市より、飯山は気候的には1〜2週間熟すのが遅れます。収穫時期は同じくらい。ですから、ぶどうの適地かと言われれば、そうだと思っています。今年も順調に生育しています。

ぶどうが収穫できるようになるのは、植えてから3〜4年目から。ぶどうが成木になるのに7年かかります。ワイン用のぶどうの木では、7年目になったものもあり、これまで雪で木が折れたのは数本程度です。すでに収穫もできています。

生育中のワイン用ぶどう

生食用で今年から収穫できそうなのは、シャインマスカット、ナガノパープル、クインニーナ、巨峰といった品種。シャインマスカットはいま、バブルというくらいの高値がついていますが、ワイン用ぶどうは加工ぶどうなので安値です。でも僕は、ワインぶどうで次につなげていきたいと思っています。

観光業で成り立つこの地域に、どうやって人を呼ぶか。農業をひとつの手段として、大学で学んだ論法を使って取り組んでいます。シャインマスカットだけだと、お客さまはなかなか来てくれない。しかし「ワイン」があれば、地域での連携が生まれて人が呼びやすくなる

地域内外の人とつながることで、連携が生まれる

ー農業をやるうえで、地域の人々との関わりが重要ですよね?

水野「住んでいる隣の集落で主に耕作していることもあって、その集落の方のお話を積極的に聞くようにしています。

水路ひとつでも、いろいろな歴史があって今に至っている。地域の先輩方にそういう話を聞くのがおもしろいし、ありがたく思っています。おもしろすぎて、ちょっと歴史マニアみたくなってきているんですが…(笑)」

木原「ぶどうを作りたいと市役所に相談したら、飯山は(気候的に)不適地ということで、あきらめたほうがよいと言われました。地域の人に理解してもらうには、実績がないと信用してもらえない。第1段階として、初めの10年間は確実にこの豪雪地でぶどうが栽培できるという実績を作ることにしました。

ぶどうは7年目からが本格スタートで、しかもワインぶどうは、樹齢数十年の木からいいワインができるというほど。それくらいぶどうは長い期間がかかります。

その後、市役所にも取り組みが理解され、新規就農者を対象とした支援(飯山市農業後継者等総合支援事業「個人就農支援交付金」)をいただけるようになり、計画的に規模を拡大しています」

ー地域外とのつながりは?

水野「おいしいお米を作っても、それが届かなければ意味がない。地域外の人にお米を届けることに重きをおいています。飯山市のふるさと納税の返礼品として登録させていただくなど、全国の方に注目されるような場所に、意識的に商品を置くようにしています。

お米のファンになっていただいた方が、僕の米ぬかでクッキーを作ってくれて、一緒に商品開発しよう! という話があったりします。

今年は甘酒作りにチャレンジしようと思っていて、地元の酒蔵に相談もしているのですが、そういったことをFacebookなどにつぶやくと、いろいろな方が反応してアドバイスをしてくれたり、一緒にやっている感じがあって楽しいです」

木原「地域外でつながろうとしているのはメーカーですね。ワインぶどうの卸先としてサントリーさん、新潟県上越市のワイナリー、岩の原葡萄園さん。

いま作っているソーヴィニヨン・ブランはいい評価をいただいています。飯山市を中期的戦略産地にしようという働きかけをしていただいている状況です」

ー他分野や異業種連携についてはどうですか?

水野「僕がやっているのお米のオーナー制度は、もう3、4年になりますが、オーナーの方々に何度も飯山に来ていただけるので、観光業と連携できていますね。

オーナー制度はメリットが大きいので、みんなでやりませんか?(笑)ファンも増えます。

あと、理想としては、農福連携をこれからやっていきたいと思っています」

木原「農業以外との連携はいちばんやりたいことです! 農業だけが盛り上がっても地域が活性化しているとは言えないですよね。農業と宿泊業、飲食業、観光業とコラボするような異業種連携を模索していきたいと思います。

コロナ禍で、宿泊業はたいへん苦しい状況になっています。団体のお客さまは呼びにくいですが、私としてはこれをチャンスと捉えています。

太田地区では修学旅行生の農業体験プログラムを行っていますが、これを一泊二日のファミリー向けプランにすることもできるわけです。ただし、これを各民宿でやるのは大変なので、農業体験に関しては、太田地区の農家に委託して連携することができるかと思います」

労働力と農機をシェア、農地の団地化で、地域で農業に従事するというアイデア

ー木原さんが提案する、シェアクルー制度とは何ですか?

木原「いまはそれぞれが、個人や組織で農業に従事していますが、私は将来的には“太田の農業に従事している”というようにしたいんですね。

農産物によって繁忙期が異なります。ぶどうだったら6、7月はとても忙しい。そういう時に、地域の人から労働力をシェアしてもらえる仕組みです。作業によっては就農者だけでなくて、他業種の方だったり地域住民・観光客でも可能だと思います。

高価な農業機器なども、シェアできるのではないかと。そうすることで新規就農者の参入の壁も低くなります。

また、地区の農地を団地化して管理していくことも考えています。山側の農地ではしっかり区画整理を行い農業機械を入れて所得向上を目的とした商業農業を行う。

一方、民宿街の近くは観光農園にして誘客をスムーズにできるようにする。一区画にはオーガニック畑があってもいいかもしれません。【ファーム】と【ガーデン】をすみ分けることで、機械の移動であったり作業効率の向上、景観の統一性などが見込めます。

農業をやっていていちばん心配なのが、農薬の飛散リスクなんです。ぶどう畑のとなりにアスパラやズッキーニ畑がある。それぞれ使用する農薬が異なるので、ちょっとでもかかると出荷できない。団地化すれば、そういうリスクを減らせるので、メリットがあると思っています」

次世代に引き継ぎができる地域を目指す、太田地区のビジョン作りについて

ーどのように飯山の環境を活かして、これからの農業を再生させていきたいですか?

水野「皆さんご存じのように飯山は四季がはっきりしている。夏は暑いし、冬はドカ雪が降る。そこに僕は魅力を感じています。荒れ果てて、人が入れないような原野に戻りつつある農地を見たときに唖然としたことがありました。飯山の環境、美しい景観を守っているのは、僕は地域の農業者のみなさんだと思っているんです。農業に携わること自体が、景観を守ることにつながっている。そのことに対して誇りを持っていきたいと思います。
30代になって、父になって、飯山の美しい風景を次の世代に残していきたいと思うようになりました」

水野さんのお気に入りの場所から眺める、飯山市の田園風景(写真は水野さん提供)

木原「この地域にしかできないことをやるべき、と僕は思っています。飯山市は新幹線の駅があり、車で1時間圏内の場所で体験できるアクティビティがものすごくあります。
カヌー・サップ・釣り(川/海)・ジップライン・夏スキー・キャンプ・温泉・トレッキング・サイクリング・自然体験・サウナなど。各アクティビティのすぐ隣には絶対といっていいほど畑や田んぼがあり、さらに地域住民は農と近い生活を送っています。

農を中心に置き、異業種や日々の人々のくらしが発展・豊かになるシステムを構築することで、その結果として、農業が盛り上がってるよね、荒廃農地がなくなったよね、となっていきたい」

鼎談の最後に進行役の内山二郎さんを囲んで

じいちゃんの田んぼを受け継いだ水野さん、父親から雪国でのぶどう栽培を託された木原さん。お二人の今後の展開や、地域内外を巻き込んでの連携がどう進んでいくのか、注目していきたいですね!

基調鼎談の後、来場者も参加してのディスカッションが行われ、それぞれが思う地域の魅力や10年後の姿、取り組むべきと思うことについて、意見が交わされました。

太田地区農業再生センターでは「次世代に引き継ぎのできる太田地区農業の再生」=「元気で輝く太田地区」の実現に向け、目指すべき未来を明確化し、地域で共有するための「将来ビジョン」を作成するために「太田地区の将来を語る会」を、今年あと2回開催します。

この記事は、基調鼎談の発言内容を再構成し、一部追加取材を行い作成しました。
(基調鼎談撮影:飯山市/その他撮影・取材:佐々木里恵)

動画でもご覧いただけます

第1部 基調鼎談、第2部旗揚げアンケート方式ディスカッションもご覧いただけます。


お二人のインタビュー記事が「飯山グッドビジネス」サイトに掲載されています、こちらもぜひご覧ください!

水野尚哉さん:世界最高米の作り手の、ぶれないテーマは家族の健康。食を中心に地域を展開するアイデア
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木原翼さん:地域のピンチをチャンスと捉える。ワインぶどう作りで新しい未来に挑戦
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